久しぶりに小説を読みました。こんにちは、あつきです。
ずっと話題になっていた住野よる先生の『君の膵臓を食べたい』ですが、なんかタイミングがなく未読だったのですが、なんと今更ながら先日読んだので、ちょっとした感想とレビューをしておきます。
260万部数を突破した、偉大なベストセラー小説ですが、正直「キャッチーなタイトルで目を惹いているだけだろう」とどこか思っていました。
ですが実際に読んでみて、それ以上の深いメッセージ性と感動がありました。
膵臓の話だけじゃない、日常生活と人間関係について深く考えさせられる傑作でした。
漫画版『君の膵臓を食べたい』を読み始めて
なんで若干ブームをすぎた本作を読みだしたのかというと、無料漫画アプリで見つけたからです。大概こういう話題作の漫画版って、あんまり出来が良くなくて、原作の方が良かった〜〜となるのが定番なのですが、今回に限っていえば全くそんなことはなかったです。
現在、小説版も漫画版もどちらも読み終わりましたが、正直甲乙つけがたい…!
流石に描写の細かさ(特に最終幕)などは小説に軍ぱいが上がりますが、途中の感動的なシーンの描写など、漫画版の伝え方が絶妙で小説では不可能な感動を与えてくれました。
漫画版は上・下とたった2冊なのもありがたいですね。
なお、無料で読める漫画アプリはLINEマンガです。一日一話無料で読んでいけます。
この2週間くらい毎日いちばんの楽しみでした…!
電子版で漫画を読むなら、KindleかFire7がおすすめです。
Fire7に関してはたったの5900円と格安タブレットなので、まだの方は是非検討してみてください!

『君の膵臓を食べたい』あらすじ
ネタバレ控えめで軽くだけあらすじを解説しておきます。後半にネタバレありで書きます。
ネタバレなしで前半を軽く解説
主人公は『僕』、というのも作中で基本的に名前を呼ばれません。人間関係を極力避けて生きて着た『僕』はある日病院で偶然『共病文庫』と書いてある本を発見して何の気なしに中を見てしまう。
それはクラスメイトで、『僕』の対極にいるような存在で明るく積極的な山内桜良のものだった。彼女は膵臓の病気で、あと1年の命だという。それまで特段関わりはなかった彼女だったが、『僕』は周りに真実を隠しながら明るく生きる彼女が死ぬという事実をなかなか認識出来ずにいる。
彼女にとって『僕』は、家族以外で唯一病気のことを知られた相手だった。
それからというもの、彼女は事あるごとに『僕』と交流し、色々な所に連れ出していく。
死に直面する彼女に対する興味と、自分とは正反対の積極的で強引な彼女からの誘いに『僕』は付いて行く。徐々に交流を深めて行く2人は、やがてお互いと自分に付いて、より深い内面について気付かされていく。
ネタバレありの後半あらすじ
—– ネタバレ注意! —–
ご飯に行ったり、旅行をしたりと、桜良との交流を深めていけば深めていくほど、『僕』は彼女の死を受け止められない、認めたくない自分に直面する。
彼女によってこんなにも変えられてたのか。
人との交流を避け続けていたが、彼女との関わりによって自分が大きく変わっていることを自覚します。
そして、突然の彼女に入院が決まり、不安は更に募っていきます。彼女の様子もどこかおかしい。
『僕』は彼女の死期が早まったのではないかと不安になる。
お見舞い中に、ついに言葉に出して、その不安を打ち明ける。彼女は、心配されていたことを喜びながら、そんなことはないと否定した。
君のことを考えていたんだよ。
不安を打ち明けて、ようやく『僕』と彼女は自分の中をさらけ出し合う関係になった。
そして、退院の日の午後、『僕』は彼女とカフェで待ち合わせをしていた。
そわそわしながらメールのやりとりをする。
彼女への感謝を伝えようと、僕からの最後の一通は
「君の膵臓を食べたい」
その返事をそわそわと期待して待っていた。
だが、彼女は来なかった。
彼女はニュースになっていた通り魔に、路地裏で刺殺されていた。
病気も、余命も関係なく、ただどこの誰ともわからない通り魔に殺されてしまったのだ。
そして、『僕』は彼女の最後の想いを知るために、『共病文庫』を見るために彼女に家を訪問し、彼女が何を考えていたのかを確かめることにした。
彼女が死んだ後、『共病文庫』を読んで泣き崩れた『僕』
その後のラストの展開も素敵でした…。ここは気になったら読んでみてね。
人間の平等さ・不平等さの話
何よりも強く感じたのは、人間という存在の平等さ・不平等さについてでした。
桜良は明るく、クラスでも中心的な存在で、正義感が強い、そんな人でした。
君よりも先に死んだほうが良い人間はたくさんいるんだね
2人での旅行中に、店員に嫌がらせをしていた客を指して言った言葉です。そして、『僕』自身も止めに行かなかった彼女と違って、あの迷惑な客側なのだと。
そんな桜良が病気によって余命という運命を背負わされました。それが不平等。
そして、誰しもがちゃんと認識していないだけで、死が待っている。それが平等。
桜良の最後は典型的で、余命宣告がされた彼女には当たり前のように明日があるものだと思っていた。と『僕』は言っています。
余命宣告されていようと、どんな人間だろうと、誰も自分の明日を保証できません。
どんな人間だって、死ぬときは死ぬ。
そしてだからこそ、自分の生きている間は、後悔の内容に1日1日を全力で生きるようにというメッセージを感じます。
『日常』というキーワード
桜良はよく「日常」という言葉を使ってました。「君のくれる日常」「家族が必死になって取り繕う日常」。病気によって壊されてしまった彼女の日常ですが、「そのことを隠し続ける」ことによって、彼女は日常を維持させようとし続けました。
「死」に直面することで、「日常」が造ったり、守ったり、焦がれるものになっていたのです。
『僕』をはじめとして、他の誰もが何も考えていない「日常」は彼女が必死に守っていたものなのです。
その典型的な例に、桜良の親友である恭子さんの存在があります。
桜良は彼女のことが一番だと言います。ですが、だからこそ、最後の瞬間まで、彼女と「日常」を過ごしたいと願い、親友には死ぬまで病気のことを伝えませんでした。(家族と『僕』以外の誰にも)
だからこそ、偶然秘密を知られたが、普通に接してくる『僕』に対しては、隠すことも、取り繕うことも必要なく、「日常を与えてくれる唯一の存在」として特別な想いを抱えていました。
『選択して生きている』人生観
序盤で『僕』はよく、自分のことを「ささ舟」、彼女のことを「大船」に例えています。
意思のない『僕』は、彼女のように大きな意思と流れを持った存在には逆らえないし、流されていくしかないのだと考えていました。
ですが中盤で、「私も君も、自分の意思で選択して出会い、ここまできた」という彼女の人生観を教えられ、考え方が変わります。
美しい人生観ですね…
(この辺の描写は漫画版が秀逸でした)
これはただの恋愛ではない
『君の膵臓を食べたい』はよく恋愛小説、恋愛映画と言われますが、全くそんな印象を受けませんでした。
作中でも桜良が言ってますが、二人の関係は、ただの「恋愛」ではありません。
二人は「お互いに憧れ、お互いがお互いの存在を補完する関係」でした。
もちろん恋愛要素もありますが、これをただの恋愛というのは、あまりにも複雑な想いと意図がありすぎるような気がします。
2人にとって、お互いは唯一無二の存在なのです。
『僕』にとって桜良は、唯一世界を広げてくれる存在。
桜良にとって『僕』は、唯一日常を感じさせてくれる存在。
違いが正反対の人間だからこそ、お互いが憧れあい、お互いで補完し合うような微妙な関係になって言ったのです。「違い」に憧れるのは人間の性なのかな
まとめ
そんなわけで、最近絶賛『君の膵臓を食べたい』にハマっています。
まだ作品に全く触れていない人は是非試してみてください!(漫画が無料だし一番気軽かな?)
小説・漫画・映画・アニメと幅広く展開しているので、自分の好きな媒体で見てみてください!
小説(原作)
漫画版
映画版