最近ポン酢が恋しい…どうもこんにちは
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今回は『自由』って言葉についてなんとなく考えてみました
よかったら一緒に考えてみましょう〜
『自由』ってなんだろう?
自由ってなんなんだろう
これは時間があるとよく考えること
最近よく自由が評価されることが多いように感じる。
「自由な人ってかっこいい」
「自由な生き方って憧れるよね〜」
そして僕も例にも漏れずそんな「自由に憧れる人」のうちの一人
「自由に生きたい。自由な人間になりたい」
いっつもそう思います
でもさでもさ
実際『自由』ってなんなんでしょうね
よく僕は「自由人」 と揶揄されたりします
「自由に生きてるよね〜」とか。
そう聞くと「う〜〜〜〜〜ん、まぁそうなのかなあ…?」って感じの反応になります
確かに自由なのかもしれない。良くも悪くも。学校に行きたくない時は行かないとか、たくさん旅をするとか、好きな時間に起きて、興味があることをやり、飽きたりつまらなくなったらやめる。自由。好き勝手。身勝手。
それは僕がいろんなものからの束縛を嫌い、自由を求めた結果なのだと思います
社会やら集団やら家族やら友達やら自分自身やら
ありとあらゆるものが自分を縛る束縛の対象になりうる
でも実際「あなたは自由ですか?」って聞かれたら「そうでもない」って答える気がする。なんでだろう。ここまで好き勝手なように生きてる人もそういないだろうに。普通の人は周りにもっと気を使って、少なくとも僕よりは窮屈で大変な人間関係や社会生活を営んでいると思う。
じゃあ自由ってなんだ?
僕は何を求めてるんだろう?
そのさきによくたどり着く答えは「精神的な開放感」であることが多い
どんなに人間関係を捨てようと
どんなに時間を気にしなくなろうと
どんなにいろんな場所に行こうと
それによって自分自身が精神的に開放感を得られえなければ『自由』ではないのだ
例えば人間関係
めんどくさい学校・職場での人付き合いなどがあったとしてそれらを全部やめたとする
すると突然自由になるかというと、答えはNoだ
そのめんどくささは関係そのものを維持しなくなってもそう簡単には完全に消えてなくなったりはしない。つまり自分の心のどこかにそれが引っかかっていたとすれば、それは 『自由』にはならない…
例えば場所
どんなに世界中を旅しようとも、その行為がイコール自由ではない。
自由な人生を求めて世界中を旅してありとあらゆる体験をしてるような人よりも、仕事、家事、休日、と毎日同じようなルーティンの生活を送りながらも、庭に咲いた花に四季を感じて楽しめるような人の方が往々にして自分の生活に自由を感じていたりする。
つまりは心の持ちよう。
もっと言えば自分自身の充足感次第なのだ。
自由とは環境のことではなく、もっと精神的で、主観的で、曖昧な、世界の見え方のようなものな気がする
自由になるには
じゃあ自由になるってどうすればいいんだ!
僕の中の何かが叫んでます。
「どうすれば自由になれるか」「どうすれば自由を感じるか」
これはとっても難しい疑問なようだ
だって何かをしたそのさきに、結果として自由を感じる自分がいるのであって
「自由になりたい!!!」って言ったって何をしたら自由になれるものでもないし、それは人によって異なっていることはいうまでもない。
さて困った。
じゃあ行動ではなく、どのような考え方を持っていればいいんだろう
生活に充実感を与えればいいのだと思う。
毎日毎日に小さくても、他の人から見たらなんでもないことでいい。
例えば僕なら朝起きてコーヒーを淹れるとか。
そんな小さなこと、当たり前のことに満足していくこと
自分の生活に対する考え方を変えること
まとめ
う〜ん、だめだ全然まとまらないなあ。
でも何が言いたいかっていうと
『自由』っていうのは環境ではなくて、自分自身の考え方から生まれるものであって
それは精神的なものなので心の持ちようでいくらでも感じられると思うんだ
そんな感じ!
おしまい